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[政治]「1月7日を祝わないのはけだもの」フン=セン首相 カンボジアウォッチニュース
2009年01月07日

数日前から、学校で配布されたカンボジア人民党の白Tシャツと白キャップを着けた子供や学生が街にあふれ、大通り沿いのタウンハウスではすべての階のすべての家にカンボジア国旗が掲げられ、ノロドム通りの官庁街には「1月7日は私たちの第二の誕生日」「カンボジア王国万歳」など大量の横断幕が掲示されていたプノンペンでは、今日1月7日、ポル=ポト政権からの解放30周年を記念して、街をあげた大々的な祝賀セレモニーが行われた。

ポル=ポト政権のカンボジアからベトナムへ逃亡した下士官たちを中心に、ベトナム政府援助により編成された反ポル=ポト軍は1978年末、中国共産党や当時の西側諸国に支援されたポル=ポト派による度重なる国境侵犯とベトナム国民虐殺に悩まされつづけていたベトナムの大規模な兵力支援のもとカンボジアへ進攻、総崩れとなり我先に退却するポル=ポト派勢力を後ろから追いかける形で無人の荒野を進撃し、わずか2週間後の1979年1月7日には首都プノンペンに入城した。以来30年、国の名称は幾度も変わり国旗が変わり、政治・経済体制も元首の職名も猫の目のように変わり、そして党名が変わっても、カンボジアは事実上、現在のカンボジア人民党により統治されつづけている。

今日は朝から、街のあちこちの道路が封鎖された。プノンペン中心部のバック=トゥーク学校の前のチェコスロバキア通りも交通遮断されてひっそりと静まりかえり、学校の前には、多数の大型バスと軍用トラックが駐車していた。

午前10時ごろ、この通りを多数の兵士がスローガンを叫びながら行進するのが見られた。その後に続いて、軍用トラックや大型バスに分乗した兵士たちが続いた。車列は先頭の兵隊行進の速度に合わせてゆっくりと進み、およそ10分間続いた。どのトラックの荷台にも、迷彩服の精悍な兵隊たちがぎっしり詰め込まれており、両脇の長椅子に詰め合わせて腰掛けている者も、頭上の鉄棒を握って立ち上がっている者も、ベランダに出てきた通り沿いの都市住民たちと微妙に視線を交わしながら、無表情で炎天下を通り過ぎて行った。

車列の間をぬうようにして、待ちかねた一般の乗用車・トラック・ミニバン・バイク・電動スクーター・シクロ・トゥクトゥク・自転車などが大量に侵入して車道・歩道にあふれ、つかの間の静寂はいつもの喧騒に戻った。

メインの式典は、プノンペン南部のオリンピックスタジアムで5万人を動員して行われ、カンボジア人民党のチア=シム党首らが演説した。市内の主要ないくつかの学校から集められた学生が、「水代」として小額のお金を受け取り、あらかじめ支給された真新しいTシャツとキャップを着用して、教員・公務員らとともにスタジアムを埋め尽くした。

同党の副党首でもあるフン=セン首相は昨日6日朝、スタン=ミアンチェイ橋の開通式での演説で、この虐殺に対する勝利の祝日を認めない人々を「けだもの」と呼んでののしった。

「もしあなたたち無知蒙昧者・極端論者が真実をあえて認めないなら、あなたたちは人間ではなく、あなたたちはまったくのけだものだ」とフン=セン。

そのベトナムに支援された兵力がクメール=ルージュをプノンペンから追い出した30年前、カンボジアの全土がその同じ日に解放されたわけではないことをフン=センは認めつつも、ポル=ポト体制の終焉をこの日は象徴していると述べた。

「それは歴史的事実だ」とフン=セン。

ソン=サン財団は声明で月曜、パリ平和協定の調印日である1991年10月23日を、圧制からの自由を記念する真の日付と呼んだ。なぜならこの合意により、1979年の「事実上のベトナムの勝利」に対し、「カンボジアの独立と主権」が不完全ながら取り戻されたからだという。

「国家の調和に反し、この[1月7日という]恥ずべき日に行進を強いることは、カンボジア国民と公務員の結束の分断を促進している」と声明は述べている。

ソン=サンは、1980年代カンボジア内戦の4勢力の1つクメール人民民族解放戦線の創始者だった。

野党ソム=リャンシー党も、1月7日を自分たちは祝わないと述べており、フン=センのカンボジア人民党によってこの日付は乗っ取られてしまったとしている。

しかしキエウ=カニャリット政府広報官兼情報相は記者たちに日曜、クメール=ルージュに勝利するためにさまざまな勢力が闘ったのだから、この祝日はすべてのカンボジア人のためのものだと語った。



2009年01月07日
カンボジアウォッチ編集部



※「同党の副党首でもあるフン=セン首相はこの式典には参加しなかったが、」の部分を「同党の副党首でもあるフン=セン首相は」に訂正しました。フン=セン首相もこの式典に参加していました。(2009年01月08日)

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